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『オデッセイ』 <火星の人> [映画]

リドリー・スコット監督の新作を観てきました。


原題は "The Martian" でした。

001.JPG

だけど、"火星の人" では、配給元が日本語タイトルとして
弱いと判断したのでしょうね。


140分と長い上映時間でしたが、間延び感もなく自然な
緊張感が全編を貫いていました。


異星人との戦闘があったりという、派手な映像はまったく
なく、火星にひとり残された植物学者のワトニー(マット・デイモン)
のサバイバルを丹念に描いていました。


もし、それが現実の出来事だとして、火星にひとり置き去りになった
主人公が、映画に描かれているような冷静沈着な思考と、それを行動
に移せるのだろうか、と最初の15分の描写では思いました。


しかし、アストロノーツとして、宇宙空間において最悪の事態に
遭遇したときの対処法は、体と脳が自動的に反応するまで徹底的に
訓練されているはずです。


そう考えれば、ワトニーだけでなく、ほかのクルーたちが、過酷な
状況のなか、出来うるであろう最善の策を考え、ときにジョークを
とばしながら、淡々と難関に立ち向かっていく姿は、とてもリアル
な描写なのだと感じます。


NASAのスタッフとの連携、また、スタッフそれぞれのポジションで
ミッションに対する思惑、考え方も様々。


それでも、ワトニーを無事に火星から生還させる!という一点に
おいて、火星探査船のクルー、NASAのスタッフが一丸となり、
アイディアをひねりだして遂行していく姿にオーバーアクション
はなく、リアルな緊張感をともなって物語は展開していきます。


CGの緻密さ、プロップのリアル感、ロケ地は あたかも火星を
想像させる広漠とした厳しさと寂寥感にみちた場所。


ワトニーとともに、火星を彷徨った感覚が残る作品です。

黒いオルフェ [映画]

1959年制作、マルセル・カミュ監督による
フランス・イタリア・ブラジル合作の映画。

ギリシャ神話の中の一節を舞台にした
「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」をベースに
して、物語をリオのカーニヴァルに移したのが
「黒いオルフェ」。





「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」の音楽を
担当したのが、アントニオ・カルロス・ジョビン
だった。

ボサノヴァの名手は、「黒いオルフェ」でも
楽曲を担当していたが、ルイス・ボンファが
作曲した「カーニヴァルの朝」を挿入しており、
映画そのものより、この曲を「黒いオルフェ」と
して記憶している人が多いのではないだろうか。

リオのカーニヴァルを見物するために、ユーリディス
は田舎から出てくる。

市電の運転手を務める陽気な青年オルフェと知り合い、
二人は恋に落ちる。

だが、オルフェには恋人のミラがいた。

嫉妬にかられたミラはユーリディスを執拗に追いかける。
そして、ギリシャ神話の悲劇と同じ終焉を迎える。

スペイン・ポルトガル系の情熱(激情)は、少々、おそろしい。
タグ:Orfeu Negro
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さらば友よ [映画]

1968年、新鋭ジャン・マルセン監督のフランス映画。

主演のアラン・ドロンは前年の「サムライ」あたりから、
甘い二枚目という固着したイメージから脱却する
ように、"男臭い" 作品を選ぶようになった感じがする。

共演はチャールズ・ブロンソン。
日本でC.ブロンソンの顔が知れ渡ったのは、柳屋化粧品
「マンダム」のコマーシャル、「ん~、マンダム・・」だろう。

「マンダム」は曲と共に大ヒットして、社名もマンダムに
変更したほどだった。





マルセイユの港、アルジェから帰還した軍医の
ディノ・バラン(アラン・ドロン)は、イザベルという
女から声を掛けられるが無視して歩き続ける。

そんな光景を見ていたアメリカ人の傭兵、
フランツ・プロップ(チャールズ・ブロンソン)は、
儲け話の匂いを嗅ぎつけて、バランに近づく。

けっきょく、イザベルの持ち掛けてきた話に乗った
バランはプロップと組み、イザベルから受けた
仕事に便乗して、金庫に眠る大金をせしめようと
企むのだが・・

金庫はもぬけの殻、警備員は全員射殺されていた。
イザベルの罠で、バランとプロップは犯人に仕立てられて
しまった。

プロップはバランを逃がすために、自分が囮になって
警察に捕まる。

プロップは、イザベルと共犯のドミニクを追うが、二人とも
警官に撃たれて息絶える。

殺人犯として捕まったプロップは、二人の警部に
問い詰められるが、決してバランの名は吐かなかった。

連行されて通路を行くプロップは、刑事からもぎ取った
タバコを銜えるが、火がない。

通路の角で、バランはマッチに火を着け、プロップの
タバコに火を移す。

ラスト、カメラに向かってバランが叫ぶ。「Yhaaa!!!」
友への別れの言葉だった。

因みに、イザベルの同性愛者、ドミニクを演じたのは
「禁じられた遊び」のブリジット・フォッセイだった。
気が付かなかったなあ。
タグ:Adieu L'ami
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プラハ / イアン・セラー [映画]

1991年制作、イアン・セラー監督の佳作。

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ヨーロッパではよく有りそうな、陳腐とも云えそうな
恋愛映画だが、背景が古都プラハとなれば、一級の
芸術作品の趣となる。


アレクサンダー・ノヴァクは、亡くなった母が写っている
"幻のフィルム" を探し求めてプラハにやってくる。

アレクサンダーは、プラハのフィルム資料館で秘書を
務めるエレナに出会い、たちまち恋に落ちる。

しかし、エレナは館長のヨセフとも愛人関係にあった。
三人の恋模様が複雑に展開していく。

ヨセフ役には、「ベルリン・天使の詩」で好演した
ブルーノ・ガンツが扮していた。

ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」にしても、
チェコ人は、こういった物語が好きな民族なのか、或は
この国の翻弄された歴史的背景によるものか・・

何れにせよ、プラハの美しい情景はこの映画に奥行を
与えている。

「プラハ」が公開される3年前に、この地を訪れていたので、
より感情移入して観たのだろう。




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ヴェニスに死す [映画]

1971年、フランス・イタリア合作。
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。

貴族階級に育ったヴィスコンティ監督の感性が、
この作品には色濃く表れているように思う。

ヴィスコントは、イタリー語で子爵を意味するが、
たしか有数の公爵家に生まれたのだったと思う。

トーマス・マンが、20世紀初頭にヴェネツィアを
旅行した際に体験した出来事を小説に纏めたのが
「ヴェニスに死す」だった。

原作で、アッシェンバッハは作家として描かれていたが、
ヴィスコンティ監督は、作曲家に置き換えている。

ダーク・ボガートが演じるアッシェンバッハは、マーラー
であることを匂わせる。

映画には、マーラーの交響曲第五番が流れる。
監督の晩年に撮られた今作からは、老いて、やがて
死が訪れるであろう予感が漂っている。





高名な作曲家であり指揮者でもあるグスタフ・フォン・
アッシェンバッハは、ふらりとヴェネツィアを訪れた。

やがて、ひとりの美少年を見かけて、いつしか彼の
姿で心がいっぱいになる。

老作曲家は少年の姿を求めて、ヴェネツィアの街を
徘徊する。少年はポーランド貴族の子息で、家族と
共にヴェネツィアへ旅行に来ていたのだった。

作曲家の滞在中に街ではコレラが発生して、倒れ行く
人々が増える中、すでに帰国した少年の姿を求めて
街に残るのだった。

コレラに罹患した作曲家は、ヴェネツィアで死を迎える。

少年タージオ役を求めて、ヴィスコンティ監督は数千人
のオーディションから、スウェーデンの、当時14歳だった
ビョルン・アンドレセンを見つけた。

当時、来日したビョルン・アンドレセンは、チョコレートの
CMに登場して、マーク・レスターと共に、10・20代の女性
たちの眼を♡型にしていた。
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死刑台のエレベーター [映画]

1958年フランス、ルイ・マル監督のデビュー作。
若干25歳の初監督作品は成功した。

この後に、フランス映画界にはトリュフォーや
ゴダールなど、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手と
いわれる監督たちが登場してくる。

ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」は、
それら作品の先駆けだった。





物語の始まりはよくある設定で、歳の離れた
美貌の妻が、夫の会社に勤める部下を情夫
にして、その男に夫殺しを持ちかけるというもの。

社長夫人フロランスにジャンヌ・モロー、情夫の
ジュリアンにモーリス・ロネが扮する。

二人とも、多くの作品で主役を務めているが、
この作品での演技が一番印象にある。

さて、ジュリアンは社長室に忍び込み、自殺に
見せかけて殺害するが、忍び込むときに使った
フック付のロープをベランダに忘れたことに
気が付き、クルマを停めた駐車場から引き返し
エレベーターで上階の社長室に向かう。

だが、折悪く、管理人がエレベーターの電源を
切ってしまった。

ジュリアンがエレベーターに閉じ込められている
間に、彼のクルマは不良カップルに盗まれて、
更にハイウェイでスピードを競ったカップルは、
相手を事故死させてしまう。

連絡もなく、計画は失敗に終わったものと思い込んだ
フロランスは、夜の街を彷徨う。

何とかエレベーターから抜け出したジュリアンだが、
不良カップルが乗り逃げしたクルマから、ジュリアン
が持ち主であることが分かり、彼は警察に連行される。

物語の後半は、警察での取り調べになるのだが、
リノ・ヴァンチェラ扮するシェリエ警部が画面を引き締める。

リノ・ヴァンチェラはギャング役で有名だけど、寧ろ、
老練な刑事役が似合っていると思えるほどハマっている。

そして全編に流れる、マイルス・デイヴィスのトランペットが
スリリングで素晴らしい。

完全犯罪を目論むにしては、いささか杜撰な計画ではある
けれど、当時のプロットって、これで十分だったのだろう。
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自転車泥棒 [映画]

1948年制作のイタリア映画。
ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品。

イタリアン・リアリズムの名作で、名画ベスト10
にランクされるほどの名画とされているが、周り
で観ているものは以外と少ない。

私が小学生のころ、火曜日以外は各局で
二時間枠の洋画劇場を放映しており、第二次
大戦後、間もない期間に制作されたフランスや
イタリア映画がよく放映された。

「自転車泥棒」も、そんなテレビの洋画劇場で
何度もみている一本だ。





戦後間もないイタリアで、二年ちかく職がない
アントニオは、やっとのことで映画のポスター
貼りの仕事をみつけた。

しかし、この仕事には自転車が必要になる。
アントニオの自転車は、質に入っている。

妻のマリアは、大切に仕舞っておいたシーツを
質に入れて、夫の自転車を取り戻す。

息子のブルーノを荷台に乗せて、アントニオは
意気揚々と仕事に出かけた。

ところが、ポスターを貼っている間に自転車を
盗まれてしまう。

友人に協力してもらい自転車を探すが見つからない。
激しく雨が降り出して雨宿りしていると、盗まれた自転車に
乗った男を見かけて後を追うのだが逃がしてしまう。

遂には、アントニオ自身が自転車を盗むまでに
追い込まれてしまった。

だが、すぐに捕まり、群衆に取り囲まれてしまう。
父に しがみついて泣きじゃくるブルーノの姿に、
持ち主はアントニオを許すのだった。

夕暮れに、父子は呆然と立ちすくんでいた・・・


自転車大国のイタリアではあるけれど、戦後3年
で、映画に登場するほど大量の自転車を市民は
保有していたのだろうか。

日本では、本田宗一郎さんが自転車に小型
エンジンを取り付けて販売を開始したのが、
戦後7年経った、昭和27年だったか。



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Sweet Rain 『死神の精度』 [映画]

旧友の父上が旅先で急逝した。
この数日間、友に協力しながら彼の父上を見送った。

ふと、この小説を思い出した。
伊坂幸太郎が2005年に上梓した小説で、2008年に
映画化されている。

原作は六篇の短編からなるオムニバスで、映画版
では、その内の三篇で構成されていた。





千葉は、人間界に派遣された調査員だ。
調査対象に近づき、一週間に亘り観察する。
そして、死か保留かを見定める。

彼が人間界に現われるときは、いつも雨が降っている。
死神である彼が素手で生き物に触れると、寿命が
縮まったり、植物なら枯れてしまったり・・

彼は、何故か「ミュージック」を偏愛している。
「仕事」の合間に、少しでも時間があるとCDショップに
入り浸って、ヘッドフォンで「ミュージック」を聴いている。

人間界で嫌悪するものは、「渋滞」だ。

そんな千葉の調査対象は、大手家電メーカーに勤務
するOLの藤木一恵(小西真奈美)。

彼女は、苦情処理係にディスクがあり、日々、大げさな
クレーマーへの対応に辟易としていた。
そんな彼女の内には、微かな自殺願望が芽生えていた。

次の調査対象は、中年ヤクザの藤田(石光研)だった。
任侠に生きる古いタイプの藤田は、殺された兄貴分の
仇討ちを狙っていた。

次に千葉が現われたのは、海に面した高台の美容院。
その店を営む老女(富司純子)は、一目みて、千葉が
人間ではないことを見通した。

映画を観ながら死神の千葉役が、金城武ではなかったら
他に誰がハマるだろうかと考えたのだが、思い浮かばなかった。

端整な風貌に、低音でよく通る声が、人間界の言語に
不案内がゆえに、真面目にトンチンカンな返答をする
ところなど、やはりこの俳優がフィットしている。

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イル・ポスティーノ [映画]

1994年制作のイタリア映画。

主演のマッシモ・トロイージは、クランク・アップして
十数時間後に他界している。

もともと心臓に疾患を抱えていたのだが、この作品
への思い入れが強く、映画の完成後に手術を行う
予定だったそうだ。





ナポリの小島に住むマリオは漁師の息子だが、
家業を継がず、無為な日々を過ごしていた。
 
ふと、文字に関わる仕事に就きたくなり、ポスト
マンとして働くことになる。

しかし、小さな島では、チリから亡命してきた詩人、
パブロ・ネルーダの居宅が唯一の配達先だった。

パブロと接しているうちに、マリオは詩や芸術に
興味を持ち、パブロの政治的姿勢に感化されて
いく。

ある日、島のパブで見かけたベアトリーチェに
マリオは魅かれて、彼女に贈る、気の利いた
詩をパブロに書いてほしいと頼む。

その依頼をパブロは断った。

祖国の政権が変わり、政治亡命から解放され
パブロは外交官として復帰することになった。

いつか、パブロが島を去るときに、この島の
美しい"音"を録音したテープを渡そうと企図
していたマリオだが、そのテープには、マリオ
のベアトリーチェへの想いも吹き込まれていた。

パブロは島を去る日、録音機とテープを、そっと
置いていった。

やがてマリオとベアトリーチェは結婚して、息子
が生まれた。

数年が経ち、パブロは島を訪れ、パブロの家に
立ち寄った。

だが、彼は政治活動のデモに参加した際に命を
落とし、家にはベアトリーチェと息子だけが残されて
いた。

パブロ・ネルーダは、チリの詩人であり、また外交官
としてスペインへ赴任した期間に、スペイン内戦が
勃発している。

反ファシストを支持し、のちにチリへ戻った際に、チリ
共産党に入党している。

それが後年、亡命を余儀なくされる事態に繋がる。

これは憶測だが、スペインで、「誰がために鐘は鳴る」
の執筆取材で入っていたヘミングウェイとネルーダは
邂逅していたかも知れない。

「イル・ポスティーノ」は、とても美しい映画だった。

タグ:Il Postino
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ミスト [映画]

スティーヴン・キングの小説「The Mist」の映画化。

日本では2008年に公開され、予告編に誘われて
観に行った。





映像化された、キングのホラー小説のなかでも、
「ミスト」は、他の作品とは少し異質な感じを受けた。

湖畔の町が舞台で、ある晩、大嵐が町を襲った。
嵐が去った翌朝、町はじょじょに深い霧に呑み込まれていく。

デヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェーン)は、破損した
箇所を修繕するための材料を買い出しに、息子を連れて
スーパーマーケットに向かう。

物語の大部分は、このスーパーマーケットの店内で、
状況が把握できない恐怖に直面した人々が取る
行動を軸に描いている。

店内から一歩外に出たら、何か得体の知れないものが
蠢いているらしい。

店舗の一面はすべてガラスなので、けっして頑強という
わけではない。店内で救援を待っても埒があかないと、
数人が連れだって、表に出て行く者。

犠牲者が増えていくなかで、これはアルマゲドンの始まり
なのだと確信する狂信的な、ミセス・カーモディ。

待っていれば、いつか救援が現われるだろうと、希望的
観測に頼り、店内で息を殺してじっとしている者。

そして、負傷者の手当てのため、デヴィッドは仲間を募り、
斜向かいのドラッグストアへ向かう。
店内には、町の近くにある軍の実験施設に駐屯していた
兵士がいた。

またも犠牲者をだしながら、辛うじてスーパーマーケット
に帰還したデヴィッドたち。

兵士は何かを恐れて震えている。
軍は、異次元に通じるアローヘッド計画を進めており、
次元の裂け目から、異生物がこの世界に押し寄せて
きたことが、兵士の口から明かされる。

異常事態のなか、ミセス・カーモディを信望する一派が
勢力を持ち、兵士を生贄として捧げようと、店の外に
放り出してしまう。

耐えきれなくなったデヴィッドと仲間たちは、クルマで
行けるところまで、脱出を試みようとするが、ミセス・
カーモディたちが立ちはだかる。

副店長は、ハンドガンでカーモディを撃ち抜いた。
カーモディ一派が怯んでいる間に、デヴィッドたちは
駐車場のクルマめがけて走る。

ほんの数十メートルで、数名が餌食となり、クルマに
辿り着いたのは子ども二人を含めた5人。

たしかに、救いのない結末が待っていた。

もし、これが現実の出来事だとしたら、スーパーマーケット
の店内で繰り広げられる人間模様は、寧ろリアルなのだ
と思った。

"映画的展開"を少し外して、「現実とはこういうものだよ」
と、見るものに語りかけてくるような内容だった。

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