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ビロード革命/前夜 [旅行]

プラハでは、夕食後のデザートもすばらしかった。

よく冷えたアイスクリームの上に、熱いソースが懸けてある。

カシスやブルーベリー、ブラックチョコレートなどのソースは、
糖分を加えていない自然の味で、上品な甘さのアイスクリーム
とのハーモニーは初めての体験だった。

菓子にも "大人の味" というものがあることを知った。


当時、プラハの街を歩いていると、日に数回、子供から老人まで
「チェンジ・マネー?」といって声をかけて来るのだ。

チェコ・コルナは通貨として弱かった為、ドルを持っていたかった
のかも知れない。

リーバイスのデニムを穿いて歩いていると、「それを売ってほしい」
と話しかけられることも何度かあった。

28インチのジーンズが穿けるとは思えない体躯の青年や、小学生
らしい子供もいた。

アメリカは自由の象徴だったのか、或いは、高値で取引されていたのか?


北緯50度に位置する夏のプラハは日が暮れるのも遅かった。
西の空から色が消えるのは21時を過ぎたころだったと思う。

そのためか、レストランが夕餉の人々で賑わうのも22時をまわったころから。
プラハっ子もツーリストも、23時過ぎまで、夏の夜を楽しんでいた。

数日滞在して、何となく街の地図が頭に入ったころ、夕食を終えて旧市街を
散策していると、学生らしい年齢の若者たちが大勢、中央広場に集まり
始めている。

何事かと思い、近くで様子をみていると、どうやら自由主義を求める人々の
集会だったようだ。

しばらくして、ホテルに帰ろうと引き返したら、主だった道路はワルシャワ
条約機構軍?の兵士が塞いでいた。

質問攻めにあい、解放されるまでに相当の時間をつかい、さすがに冷や汗
をかいた。


そらから一年後、ビロード革命が起きた。プラハの春から21年が経っていた。

彼の地を訪れてから25年になる。あの街並みも、郊外の城も、モルダウの
流れも、絵画のような記憶になっている。








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